感想『雨の日の心理学』(東畑開人著)

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はじめに

どうも、仲村です。

今回は私が尊敬している東畑開人先生の新書である『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』についての感想について述べていきたいと思います。

私自身、心理学専攻であるため東畑先生の著作をいくつか読ませていただいたのですが、どれも素晴らし本であり、心理セラピーに対する理解を深める一助になると思われます。

人生において健やかな日である晴れの日。そして病める日である雨の日。晴れの日では自然に分かっていたことが雨の日にはわからなくなる。そんなときにどのようなこころのケアをすれば良いのかを丁寧に解説した一冊となっております。

私が特に印象を受けた文章を引用し、その感想を述べていきたいと思います。

感想

ケアとはやり直せるものである。人間がやることなのですから、傷つけてしまうことはあります。完璧を狙ってはいけない。失敗したら、余裕ができたときに、リカバリーすればいいんです。そうやって絆は深まっていくんですよ

東畑開人『雨の日の心理学』

つい数週間前にとある人から「死にたい」といった趣旨の相談を受け、ケアを行うことになった。その場では話を聞き、とりあえず落ち着かせることができたのだが、その後は逆転移によって自分のメンタルが不安定となり、結果として関係性を断ち切ってしまった。

今思えば、完璧を求めすぎてしまっていたのだと思う。程よく不潔に不完全を許容しながらするべきであった。

東畑先生は同書にて常に門戸を開いておき、繋がりを持続させておくことの重要性について述べていたが、私にはこれをすることができなかった。

だからこそ、不完全なケアを許し、失敗したらそれを後にリカバリーする。その姿勢を大切にしていきたい。

こころと社会、つまり個人の問題と環境の問題です。世の中のほとんどの困りごとは、その両方からもたらされるわけですが、僕らはついついどちらかのせいだと偏って考えちゃうんですね。こころのせいだ、いや社会のせいだって、どっちかになっちゃう。でも、基本的には両方なんですよ。「あれか、これか」ではなく「あれも、これも」。

東畑開人『雨の日の心理学』

責任を追及する際にはどうしても白黒つけようとしてしまいがちである。

しかし、大抵の問題は白黒つけられるものではなく、灰色の部分が最も正当な答えとなることが多い。

世の中の困りごとは社会とこころの両方が関与するものなのである。

だからこそ「あれか、これか」ではなく「あれも、これも」という二極化したものを併存させることが重要となるのだ。

忘れがちのことであるが、非常に大切なことであるため、心にとどめておきたいものである。

「ただ、今日ただいま、この場では、人類はすなわちわれわれ二人だ」いい言葉だと思いませんか? そう、今日、この場にいたのは、あなただった。雨が降っている。目の前に濡れている人がいる。その人は助けを待っている。そのとき、とりあえず目の前にいたのがあなただった。だから、あなたが傘を差し出す。濡れないようにしてあげる。あるいは一緒に傘に入ってもらう。肩を濡らしながら、雨の中を一緒に歩いていく。偶然と言えば偶然だし、運命と言えば運命です。でも、こころのケアははじまってしまいます。僕らは引き受けるんですね。その場にいたのだから、傘を差し出すわけです。そのようにして、こころのケアははじまる。

東畑開人『雨の日の心理学』

人との出会いは偶然の産物である。

こころのケアの開始も同様に、運命的な出会いによって展開されていく。

今、頼れる人間が目の間にいた。それが偶々あなたであった。

だから、私たちはその偶然の出会いに応じて傘を差し出し、雨の降る日に少しの晴れ間を用意しなければならない。

そういった責任を深く意識させられた。今後、私が相談を請け負うことになった際は、このような視点を大切にしていきたい。

おわりに

普段はフィーリングで分かっていたことが分からなくなることがある。

近しい家族や友達、恋人ですら何を考えているのか捉えることができなくなり、どこか不気味で恐ろしいものであるかのように感じてしまう。

そんなときにどのように対処すればよいのか教えてくれるような本であった。

今現在、同じような悩みを抱える人の一助になると思います。


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