はじめに
本記事では社会学者でもあり、心理学者でもある、加藤諦三先生の『大学で何を学ぶか』について、感想を述べていきたいと思います。
私自身、現在は大学3年生という身分でありますので、タイトルを見て興味を惹かれ購入しました。率直な感想を述べますと、本当に「買って良かった」と思えるような本でした。
大学で何を学ぶべきかだけに留まらず、社会で生きていくための哲学や人間関係の在り方などについても考えさせられるような内容になっており、さまざまな視点から自分のあるべき姿を見詰め直すことができます。
現在、大学での自分の在り方に悩んでいる人や、大学に限らず社会生活の中でどうしようもなくいきずまっているような人におすすめです。
個人的に私が興味を持った文章や印象を受けた文章を抜粋し、感想を以下に述べていきたいと思います。
感想
人間の興味には自然の成長というのがある。すぐに何かがうまくなるわけでもなければ、何かを始めて、すぐに面白くなるというわけでもない。自然の成長はけっしてそんなにはやいものではない。一度解放した意欲や、創造力や、対象への関心は、植物に水をやり育てるように、大切に育てなければならない。
『大学で何を学ぶか』(加藤諦三)
興味は刹那的な性質を持ち合わせてもいます。興味があるからと言ってそれは長期的に持続するものではありません。
植物に水をやるようにじっくりと醸成していき育てていかねばなりません。
大学で学ぶ学問に関しても必ずしも興味が続くわけではありませんが、だからこそ少しずつ興味の芽を育てていきたいと思いました。
人間は、たしかに一方でいつも変化を望んでいる。しかし、現実にその変化が目前にあると、自分でも驚くほどしりごみしてしまう。変わるということは、それほどこわいことだ。変化は代償を要求する。
『大学で何を学ぶか』(加藤諦三)
私の好きな学者さんである臨床心理士の東畑開人先生はX(旧Twitter)にて「変化は傷跡」であると仰っていました。
私自身あらゆる出来事に対して回避的な傾向があるが為に今まで多くの機会を取り逃してきました。
変化には代償がつきものであり、恐ろしいものであります。しかし、成長の為には変化が必要不可欠なものとなります。
成長する人間はみながこの変化に伴う代償を恐れつつも、変化へとその身を投じていくのです。故に変化を恐れてはなりません。成長の為には代償は仕方がないものなのであります。
自分が世界を拒否した者は、なぜか世界が自分を拒否したと錯覚するものだからである。人間はときに愛されないとなげく。しかしそれは愛されるに値する人間ではないからではない。他人の好意に対して自分の側が心を開いていないだけのことである。
『大学で何を学ぶか』(加藤諦三)
存外、私たちが思うよりも他者は自分に対して好意的に心を開いてくれるものです。しかし、その行為に対して拒絶的な反応を示してしまうことがあります。
それ故に、他者の好意を受け取れず、むしろ敵とみなしてしまうことで、他者からよりいっそう愛されなくなるというわけです。
これはある種の心理的防衛だと私は考えています。すなわち、自分が傷つけられるのが恐ろしいがために、先に相手を敵とみなすことで傷つけられることを正当化するというわけです。
だからこそ心を開いて他者からの愛を素直に受け取るという姿勢が重要となります。
自分は何をめざして生き、どう生きていけば真の生き甲斐が得られるのか。それを四年間問い続け、行動し続けてほしい。正しい姿勢をもったら、それに従って直実に進む。その姿が、たとえ他人には愚直にうつり、損な人生と思われたとしても、自分の心が満たされていれば、それでいいではないか。たえず世間体を意識した、愚かしい競争と円を切ることができれば、そのとき自分で自分を好きになれるかもしれない。
『大学で何を学ぶか』(加藤諦三)
私の好きな配信者である黒髪ピピピさんは「アホだと思われても自分らしく走ったもん勝ち」という発言をしていました。
大学で学ぶこともこの言葉と同じものだと思います。すなわち他者からどのように思われようとも、自分の信念を貫き、やるべきことを愚直にこなしていく。それが非常に重要なのだと思われます。
私たちは社会の中で生きる存在であると同時に、社会の中で生きる個人であり、社会に囚われた存在ではありません。
世間の目ばかり気にした生き方ではなく、自分を生きるということのベースを構築することがこの時期に必要なのだと私は思います。
おわりに
個人的な悩みと関連することもあって非常に心を打たれるような一冊でありました。
現在、大学で何を学ぶのか曖昧で分からなくなっている人や生き方が分からなくなっている人におすすめな一冊となっています。
ぜひ、手に取って読んでみてください!
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